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社会的弱者っていますよね。老人とか、障害者とか、妊婦とか。 上記のような方々を社会的弱者って呼ぶのは収入が少ないとか、行動範囲が狭いとか、そういう社会的に弱い人のことを指します。だからといって、金持ちが強者かというとそうでもないっていう。弱いか普通科の二択なんですよね。 収入があって、行動範囲が狭くても精神的に一般人とちょっと違う人は弱者に入ると思います。ここで言う人はキチガイじゃなくて、アルツハイマーだとか自閉症だとか人とコミニュケーションを取るのが苦手な人だとか。そう言う人も弱者ではないでしょうか。 ここで話したいのは弱者の分類じゃなくて。 弱者ってのは守られるべきです。当然です。身体的な弱者は列車で席を譲るように身体を気遣ってあげなければいけないし、精神的弱者は病気(一般の人と少し違っているのでここでは病気と表現します)を周りの人がくみ取り配慮せねばなりません。それは道理であり、当たり前のことです。 それでは、弱者のようは一般人はどうなるか。 昨今の日本では登校拒否をする学生が増えています。精神面でどうしても問題があって、家に篭もらざるを得ない人(篭もりたくないけどやむを得ず篭もる人)もいるでしょう。けれども「本当にひき篭もらざるをえない人」なのか「自分へ甘えてる人」なのか。その区別は出来ていません。 登校拒否が増えたのはつい最近です。子供の気持ちを尊重しようという世の中故に学校に行きたがらない子供を野放しにしているだけになっているのかもしれません。昔は登校拒否の子供は少なかったと先人達は言います。これは「学校=絶対に行かなければいけない」という意識を植え付けられているからでしょう。是が非でも行かないといけない。周りがそうだからイヤでも行く。これが昔でした。 ところが現在は、「精神面が弱い人を助けよう、何も無理する必要はない」というのが世論です。行きたくないとごねる子供を無理に行かせるのは悪いことであり、子供の気持ち一番。これが平成です。だから子供が「タダのわがまま」で行きたくないのであってもその意志を無理に止める術はなく、注意はすれど強制は出来ません。 『イヤなら行かなくても良い』という風潮を助長するように、フリースクールが増えています。規律にムリヤリ従うことはない。子供のわがままをなるべく認めてあげようじゃないか。 ふ ざ け ん な 。 エゴを認めるというのは本当に正しいことでしょうか。確かに、とても無理な規律があるのも事実。しかし、大半は大したことのないものです。規律を守るのが面倒だからと規律のないところに逃げる。他の人がいるから自分だけじゃない。規律のないところに行くのは決して異端なことじゃないと錯覚を起こします。 虐めがあった。多くの理解者(と思っていた人)に相談しても効果がない。じゃあどうするか。逃げるか戦うかの二択です。昔の子供は戦ったかもしれません。向かい合って戦った人もいるでしょうし、耐えた人もいるでしょう。現代では「無理に戦わなくても逃げればいいじゃん」という状態。集団の中で人間関係の摩擦が起きるのは当然。摩擦を解消する力を養う気もなく、摩擦から逃げる。 社会的弱者を助けるためのフリースクール。公立なところはごく僅か。もしくは無いかもしれません。よって国の援助がない。だから普通の公立学校と比べたらバカ高い費用がかかります。全国の学生を支えるために税金を払いつつも、自分の学生はその税金の恩恵にあずからず、新たに学校の費用を出す。税金の2重払いをしているようなものなのにそれを当然のことと思っている。 この現代ですから、そのうちに鬼コーチといった人も訴えられるでしょう。我が子をかわいがる親バカ世代では我が子を痛めつけるものは絶対悪。鉄は叩いて鍛えるもの。親バカにとって叩くこと=虐めなのです。 とにかく子供の好きにさせてやれ。 叩かぬように。ぬるま湯につけておけ。 異常なのはこの風潮なのか。 それともそれをおかしいと思う俺なのか。 注) 実際に精神面が弱く、どうしても復帰できない人もいると思います。しかし、今回話題にしたのは被害者ぶっている人であり、本当の弱者ではありません。 2004/02/10
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